まったりし隊

Kamikouchi - Matsumoto

2005.08.04. - 08.09

上高地にある小梨平キャンプ場まで徒歩、目の前を梓川が流れ、3000メートル級の山々に囲まれた地点でテントを設営する。ここまで来ると慣れたもので、無言の役割分担の中、ペグを打ち込んでいく。この上高地までのバスは山道を登って来たため、ヨシコは乗り物酔い気味。疲れを癒すべく、上高地温泉ホテルの外来湯へと、散歩がてら歩き出した。

温泉ホテルが近づくにつれ、猿の群れが出現。人間に慣れているようで、かなり近づいても逃げはしない。ヨシコは被写体の出現にカメラを取り出し、猿を撮りまくる。猿は猿でそれを知っているかのように、様々なポーズをとっては、くつろいでいるのである。

目的地、上高地温泉ホテルの温泉はめちゃくちゃ熱かった。昼間に入ったものだから汗が噴出し、ちょっと疲れる。そうそうに退散するも、ヨシコは中々帰ってこないので、ひとり牛乳を飲んでボーっと猿を見ていると、目の前でウンコされ変な気持ちになる。

田代池に着くと、パラパラと雨が降り出し、ヨシコの傘しか持ち合わせていなかったので、木々の下で雨宿りする。先ほどまでの天気が嘘のようで、湿気を帯びた何とも言えない空気が満ち溢れていく。そして時間がないツアー客は、足早に通り過ぎ、僕たちはそんな人々を少し可哀想だなと思いながら見るのだ。まるでスタンプ・ラリーである。

一方、僕たちは雨によって足止めされたことで、時間の経過と共に姿を変えていく田代池を見ることが出来た。目の錯覚かな?と思っていた薄霧が川面に集まり出して、幻想的な景色を見せてくれたのである。目の前では家族連れが一列に並んで記念撮影。家族の笑顔が眩しかった。

天気が回復すると、大正池まで一直線。さすが、有名な観光地。カメラ教室の団体が池めがけて全員、同じ方向にレンズを向けている光景は、滑稽でもある。結局、同じ視点から同じような高性能のカメラで、同じような構図で撮れているであろう写真集がたくさん出来るのではないだろうか。もちろん、撮影技術を磨いているのであろうが、ファインダーを覗く前に、もう少し周りも見てもいいのではないだろうか。池の中央にある巨大な枯れ木を撮影する彼らの周りでは、マガモが遊び、雲が流れ、それを見た人々の笑顔や嬌声がこの瞬間にだけ存在しているのだから。

しかしながら、彼らが撮影しようとしている自然の美もまた、何よりも美しいものである。雲行きが怪しくなりその陰影が増した瞬間、一組の家族が湖面の側で、立ち枯れの巨木を仰ぎ見ていた。僕の場所からそれを見たとき、ひとつの偉大な絵画のように見えたことを記憶している。手前に4人の家族が並んで立ち、その向こうに立ち枯れの巨木もまた、並んで彼らと向き合っているのである。そこに幾つもの会話がなされているようで、とても鮮明に心に焼きついたのです。

一方、花より団子のヨシコは、「見た目はダサイがうまそうだ」と魚を見て呟く。それを聞いた魚は知って知らずかひーっと逃げていく。そこで明神池の近くの小屋で、イワナ定食を食すことにした。頭から尻尾まで、めちゃくちゃうまい。焼きたての魚は、やっぱり最高である。そんな明神池の立て看板には「上高地」ではなく「神降地」と記されている。今、まさに神が降臨し、イワナが生贄となったのである。

そして穏やかな風の中、我が隊はいつもの何もしない休憩をはじめると、トンボもその羽を休めて一箇所で止まっている。ウグイスが鳴きあい、蝶が舞い、鳥がイワナを狙っていると思えば、「子、丑、虎、兎、辰、巳!」と叫びながら走る子どももいる。十二支を数えるとは渋すぎるではないか。そういえば「足、捻挫したー!」と言いながら全速で走り回る子どももいた。深い謎である。

腹が減ったのでおにぎり弁当を買うと、中身が3つとも梅干しであることに衝撃を受ける。上高地は梅干ししかないのか!と検証すべく、バス・ターミナルの弁当屋まで駆け出し、店の御爺さんに「中身は何ですか?」と聞くと、「シャケとおかか」だと答える。あぁ、良かった。生きていける。そう、隊長はあまり梅干しが好きでないのだ。そしてヨシコの調子が良くないので、テントに寝かせることに。

急に暇になった僕は、明日計画している焼岳登山に耐えうる体力が今の僕にあるのか知るべく、岳沢ヒュッテまでの登山に向かうことにした。地図を見ると2時間半で登れるようだが、現在13時。往復を考えるとギリギリである。15時を目安に無理せず引き返そうと決め、食料を少し詰め込み登り始める。すると若い学生が1人、僕を簡単に追い抜くと、あっと言う間に見えなくなった。僕も屋久島を登った頃は、あれぐらいのスピードだったのだろうか。とにかくヨシコがいないので、めちゃくちゃ静かである。1人になると主観的になり、物事を多く考えることができ、これもまたいい時間であると思う。そして岳沢には14時半に着いた。

緩やかな西日を浴びながら飲むビールは格別である。眼下には小梨平が、大正池が見えている。この森の中でヨシコはぐっすり眠っているのであろう。不可視のヨシコであれど、携帯電話ひとつでつながれると考えると、便利な世の中になったものである。少し情緒は薄れるかも知れないが、心配無きようメールひとつ送り、15時過ぎに急いで下山、16時半にはチーズ・ケーキ片手にテントへと帰った。

疲れた体を休めるべく寝袋に包まった僕を迎え撃つのは、昼間、寝に寝まくった元気百倍のヨシコである。嫌な予感的中で、自分が元気をいいことに、トランプやら何やら遊べ!遊べの大合唱である。やっと寝れると思って寝入ると、ほどなく「ヨチュオ?寝たの?」と聞いては、「おーい!」と地震さながら体をゆすられる。僕は「何?」と聞くと、「あっ起きてた」と言う。「起きてた」じゃなくて起こしているのである。

話を聞くと、どうやら「うん、寝たよ」と言って欲しいらしいのだが、「うん、寝たよ」と言う時点で、この僕は確実に起きていることに気付いているのだろうか。ためしに「うん、寝たよ」と言ってみると、言われたヨシコが即寝。え?どういうこと?

目覚めると、昨日の夜の雨が嘘の様な快晴。2393mまで登れる焼岳がその姿を見せていた。よし、登ろう。ヨシコに「晴れたね」と言うと、「晴れてなんかなーいさ、晴れたなんてうーそさ」と歌いだす。さらには「今日は寒いねー」「すべるねー」と弱音の連呼。よほど行きたくないらしい。とりあえずバスで中の湯へ行き、食料を詰めて登山道に分け入った。

いきなり、心臓破りの登り。ヨシコに心底恨まれる。「何でこんなところに連れて来たのよー!」と、登山開始5分で猛抗議である。最近出来た「まったりし隊」のテーマ・ソング、「我らまったりしたーい」と歌って誤魔化そうとするが、「まったりしてないよ!」と火に油を注ぐ結果に終わる。今度は登山道で見つけた折れた木の棒を渡すと、どうやら登りやすくなったらしく、ケロリと機嫌が直る。

まさに魔法の杖である。リンドウ平を越え、8時半からスタートした登山も佳境に入る。頂上の噴煙は見えているのに、中々辿り着かない。休憩を重ねながらもゆっくりと時を重ね、登頂成功である。そこでお昼。飯がうますぎる!気付くと噴煙立ち昇る硫黄の匂いの中、妙にヨシコに元気がない。よく見ると唇が真っ青である。今から下山するルートを覗き見ると、急な斜面、砂礫場が延々と見えるではないか。怖いところ、高いところ、 滑りやすいところが大嫌いなヨシコである。そしてその時はやってきた。

「恨んでやるー!」ヨシコの絶叫がこだまする。数百メートル下まで切り立った斜面でヨシコは泣きじゃくる。過去最高の号泣が炸裂し、神が降臨、ヨシコを泣かすと雨が降るというジンクスが最大限に引き出された瞬間であった。殴りつけるような雨と、稲光り、轟く雷鳴。砂礫場はぬかるんだ泥流と化しはじめ、危険な状態になる。切り立った斜面を人の2倍ほどの時間をかけ下山し、緩やかな稜線に変わる。ここで雷くらってヨシコの身に何かあれば一大事。「ヨシコ!雷が近いから、小屋まで急ぐよ!」と叫ぶと、雷に当たりたくないヨシコの下山スピードが3倍増す。めちゃくちゃ速い。嘘のように速い。始めからそうして欲しいと思うぐらい速い。何とか小屋に飛び込み、安堵すると、ヨシコの気分の回復とともに天気も回復。嘘のように回復。始めから御機嫌であって欲しいと思うぐらい回復。そして無事下山したのであった。

雨の登山で靴やズボンがずぶ濡れになったので、天気の良い朝から洗濯し、乾かす。時間とともに移り行く陽だまりを探しては、場所を変え、全ての装備をリフレッシュさせていくのだ。心地よい風と、温かな日差しによって、おもしろいほど乾いていく。木陰で僕は「海底二万里」を、ヨシコは「アフリカ・ポレポレ」を読みながら、まったりするのです。

腹が減ると御機嫌よろしくないヨシコをケーキでも食べに行こうと誘う。すぐに食いつくヨシコ。カボチャのタルトにリンゴ・パイ。立て続けにカレーの大盛りである。付け合せのサラダのうまいこと!何もしない日もいい。窓の外を子どもが走りまわる。どうやらヨシコに興味があるらしく、チラチラ見ているのである。ヨシコも彼等に興味津々で、ひたすら実況中継。僕は見ずとも外の景色を知りえるのです。

そして梓川のせせらぎを聞きながら読書。昨日はあれほど怒りに長けた焼岳も、雲ひとつ無い空のの中にそびえ立つ。ヨシコを見ると昼寝中。御機嫌の青空なのであろう。光沢のある深緑色の小さな虫が、本を持った左手にとまり、頭をかき、お尻をかいている。やっぱり僕も自然の一部なのだろう。小さな虫はやがてどこかへと飛び去った。そして僕より40歳ほど年上の男が酒とワインをビニール袋にさげて西日の方へと歩み行く。今日はそんな日なのです。

いよいよ6日間の上高地生活に別れを告げ、松本行きのバスへ乗る。新島々までのバス停「稲核」(いねこき)に何故かヨシコ爆笑。どうやらツボだったようだ。そして上高地を下る車内から、梓川の末路をたどる。あれほど澄んだ清流も、すぐふもとで堰き止められダムに入り、よどみ、東京電力の名のもと、エネルギーに転換される。必要な事業なのだろうが、思わず悲しくなってしまうのです。

それはそれは小さなシャクトリ虫と別れ、松本電鉄に乗り、長野県松本市へ。野山ばかり見ていた我が隊には、白銀に輝くビル群が異様なものに映る。しかし、それも束の間、ヨシコは「文化的だ!」と連呼し、冷房の効いた店内を物色、帽子を買っていた。カレー、うどん、蕎麦から解放されるべく、パスタ・ランチ。伊勢町通り沿いの「Casa Mia」。安くてうまい!隠れた名店です!

 

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