まったりし隊

Utsunomiya - Kamakura

2005.08.13. - 08.16 

小淵沢から宇都宮を経て、大学時代の後輩であるコタキ・キミオ氏(以下、オニギリマユ)が住まう町、栃木県矢板市までは、めちゃくちゃ遠い。夕刻、岡本駅に下り立った僕たちは、オニギリマユの迎えが来るまで、茜色の空の下、方言むき出しの人々をボーッと眺めていた。思えば遠くへ来たものだ。ほどなくオニギリマユが車で到着。数年ぶりの再会である。

オニギリマユは、いい意味で何も変わっていなかった。相変わらず眠そうな目で、田んぼしかない道を快走する。新潟の次にいい米作っていると、栃木の米事情を力説しながら、辿りついたは那須高原。どれだけ快走するねん!もうすぐ福島やないか!と思うも、わざわざ僕等のためにおいしい焼肉屋まで連れてきてくれたのである。感謝。牛肉「安愚楽」なるものを食すも、ユッケのうまさに悶絶。その夜は、オニギリマユ邸でキリン一番絞りの3リットル缶を片手に懐かし話。オニギリマユ所蔵のアコースティック・ギター、J-45に一目ぼれ。灰皿いっぱいのタバコの吸殻に、ビールの空き缶。大学時代の軽音楽部の部室を思い起こす風景がそこにはあった。

二日酔いの身体を引きずって、日光までドライブ。「花の季」というラーメンを食べに行ったのだが、この店、田んぼの中にポツンとあって、しかも長蛇の列ができるのどの有名店だそうだ。ラーメンの馬鹿でかさに昨夜のアルコールが残る体がびっくりしていたが、食べきる。いろは坂を越え中尊寺湖へ。すでに全員、昨夜のアルコールにやられてグダグダである。あかん、もう帰って昼寝しよう!と、東照宮の入場料の高さにも追い討ちをかけられ逃げ帰る。我がまったりし隊の疲れはこの日、ピークに達していた。テント暮らしが一転、屋根とエアコンがある一軒家に変わったことで緊張感を失い、身体が休息を欲し始めたのだった。ヨシコなんてピクリとも動こうとしない。

その夜、オニギリマユの親友、高校教師であるオカダ氏を交えて、これまた焼肉。何故か恐ろしいほどの豪雨の中、迎え酒で乾杯し、栃木の話で盛り上がる。さらにオニギリマユ邸に場所を移し、まだまだ宴会は続くのだ。飲んだくれたオカダ氏は翌日、オニギリマユ邸から出勤。僕たちも、清原にそっくりなオニギリマユの父に挨拶し、鎌倉へと向かうことにした。

オニギリマユが車で最寄り駅まで送ってくれる。途中、梨園があり、オニギリマユはいつもの語り口調で話し始めた。「梨園は全天、網で覆われているのね。蝉がもしその中で羽化したら、一生小さな「網」の世界で終わってしまう。もう少し外で羽化することが出来たら、自由に飛べるのになー」。運命とはこういうことなのだろうか。網の中で泣き叫ぶ蝉の声が、急に悲しく聞こえ始める。

さらにオニギリマユは続け、「でも彼等の子どもは外に出られるかもねー」と言いながら、タバコをくわえ、ゆっくりとハンドルを切る。大学を出て、すぐに帰郷し、家も建てたオニギリマユ。彼は、蝉に言っているのだろうか、それとも。

Kamakura

栃木は宇都宮から鎌倉までは新宿湘南ラインに乗って3時間半。めちゃくちゃ早い。が!鎌倉に着くと、海辺独特の暑さが巨大なリュックを背負った二人に襲いかかり、さっそくヨシコが無言になる。そのまま江ノ電に乗って江ノ島に行くも、路地で暑さをしのぎながらダラリと眠る野良猫さながら、副隊長ヨシコはダウン。わしは一歩も動かないぞ!宣言である。

この旅の前半を清涼な山々で過ごしてきた我が隊にすれば、波打ち際の照り返し厳しいアスファルト地獄は、確かに過酷な世界。同じ8月をどこで過ごすかということを考えると、同じ国の中でも季節に対する印象は変わるのでしょう。それぞれの土地に、それぞれの夏があって、その間を旅人は駆け足で過ぎていく。

江ノ島から七里ヶ浜に移動すると、そこには海を愛する風土が色濃くあった。自転車に取り付けられ奇妙に歪曲した鉄パイプは、サーフ・ボードをのせるためのもの。あんな自転車を始めて見た。そして傾きかけた太陽の中、海辺には次々とサーファーが集まってくる。若者から50代ぐらいのおじさん、老若男女、皆、挨拶しながら波の状態の話をしては笑いあう。海が好き!という共通項を持って生まれるこの連帯感。そこには世代の確執なんてどこにもない。

鎌倉に戻った我々は都市ということもあって、テントを張れる場所も少ないだろうと安宿を探すも、どこもかしこも満室。さすが盆。隊長である私が砂浜で野宿宣言をすると、副隊長があからさまに嫌な顔をする。屋久島の砂浜で寝て得た素晴らしき経験を伝えても、心配顔なのです。そりゃそうだ。とりあえず風呂に入りたいというので町の銭湯へ。この滝沢の湯、昭和の匂いがプンプン。お婆ちゃんがひとりで切り盛りし、テレビを見ては巨人の清原のエラーに対して文句ばかり言う。古びた男湯に、お爺ちゃんふたり、白人の若者ふたり、僕。この5人が湯煙の中、ボーッとしている光景は趣あり過ぎます。最高。さっぱりとあがるも、着たTシャツが汗臭くてショック。

雨の予報にもかかわらず、由比ヶ浜には月が登る。あれほど嫌がったヨシコは砂浜の上で寝息をたてた。波の音が心地よいので、僕は砂浜での野宿が大好きなのだ。近くの海の家の音楽がうるさいほど鳴り響く。片や物言わぬ月に照らされた海は、そこだけが焼きたてのトーストにぬられたバターのごとくなめらかで、濃厚な輝きを放っていた。暗闇に溶け込むようなウミネコの声。僕の背後では音なく輝く稲妻、目の前には雲ひとつない空を行く月と眠る副隊長。そして僕がその国境。

潮風に一晩さらされた身体は、塩でネバネバする。海岸を散歩する犬を見ながら、顔を洗い、市内の朝市へ。が!ヨシコが鎌倉で訪れたかった店が、軒並み盆休み。雑貨屋もカフェも蜂蜜屋も、面白いほど閉まっているのである。ヨシコ泣く=降りだす雨。ショックで疲れ始めた副隊長がいきなり「こうなりゃ難波の市場ずし行くぞ!」宣言。え!?大阪帰るってこと?

このままでは負け戦のようなので、カツ・カレーを食べていると震度4の地震発生。交通機関がマヒし、鎌倉駅は鉄道運行中止による人だかりでごった返す。藤沢までバスに乗り、そこから幾度も鈍行を乗り継ぎ大阪へ。青春18切符の旅も終わりを迎えようとしている。少し疲れ始めた隊長の横では、あれほど暑さに文句を言っていた副隊長が、久々に寿司が食えると知ってめちゃくちゃ元気なのである。

Osaka

さぁ、お寿司でお腹を満たしたら、我が家に帰ろう。また旅に出るために。
今回の「まったりし隊」はここまで!

隊長:ヨチュオ・セカチノフ
副隊長:ヨシコ・マッタリーナ
栃木支部:コタキ・オニギリマユ

 

FIN

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